朝の空気感に包まれる
スタート1時間前のランナー待機所。
この日は一時雨の天気予報
ゼッケンが見えるように
透明の簡易型の
ビニールカッパを被る。
薄着の人は両腕で身体を覆うように
寒さをしのいでいる。
仲間と楽しそうに談笑したり
テンション上がり気味の人達。
自撮りをする人、トイレに駆け込む人。
ふと足元に目線を移すと
素足に草履のファイター。
静かにその時を待つ
一人で参加していると思われる
女性ランナー。
様々な人間模様である。
スタートの時間が迫り
ブロックごとの移動が始まるに連れて
それでも緊張感は高まってゆく。
そして
初めての
そして、もう経験することのない景色が
そこに広がっていた。
私の前には誰もいない
見えるのは先導する白バイと
沿道を埋め尽くした人波。
そうコロナ対策による
ウェーブスタート。
つまり時間差のスタートによって
およそ青学とかしか経験することのない
景色を体験することができたのだ!
心が躍るぜ!
スタート待ちの時間に
ペースランナーの方が
出場者に向けて話をしてくれた。
「自分達は1kmを
7分20秒のペースで走ります。
それより早く走りたい人は
追い越してもらって大丈夫です。
ただし前半飛ばしすぎると
必ず後半で疲れが出るので
気をつけてくださいね」
そんな言葉も虚しく
「この先の限られた人生で
こんな花道を走ることはもうないだろう」
いつもなら
号砲も聞こえない場所でスタートを待ち
前の集団が動き始めるのを見て
「あっ、スタートしたのか」
というスタート後方集団にいたのが
突然ピストルを構えた
主催者代表の姿を間近に見据えて
スタートが切れるなんて・・・!!
ペースなんか関係ないだぎゃー!
号砲とともに飛び出し
もちろん同様のことを考えるのは
皆同じなので
群を抜く訳にはいかないが
県都の主要幹線道路を両脇に観衆を従え
我が物顔で走れるのは
今しかないと思うと
ペースは否が応でも上がっちまうズラよ。
今回は
レース直前まで脛の痛みに悩まされた。
私がフルマラソンに初めて参加した時
練習で10km以上を
走ったことが無いことに不安を覚え
レース2日前に無理をして
前日には歩けないほどの
筋肉痛に悩まされたことがある。
その時に訪ねたのが
(私曰く)神のテーピーングをする男だ。
「先生、とにかく歩けるようにしてください」
彼のテーピングは
1cmの幅もないテープを使う。
これで本当に効くのか?
しかし、レース前日に歩くことも
ままならなかった状態が
初参加で完走できたのだ。
今回もその神のテーピングを
施してもらったのだ。
コース最大の難所も
初めて歩かずに走ることができた。
これは上りの練習の賜物だし
旧中山道の修行のおかげだ。
しかし25kmを過ぎたあたりで
足の痛みはやってきた。
つり止の薬を飲んでも
もはや気休めなのである、
どんなに青春の音楽を聴こうと
どんなに沿道の声援があろうと
どんなに精神を高めても
動かなくなる足は動かない。
それでも歩きも交えながらも
何とか自己タイム更新で
ゴールを迎えることができた。
レース後半は気温も下がり
海岸沿いの風は冷たい。
そんな環境にも拘らず沿道で
声援を送ってくれた人達。
年老いたご老人が手押し車に腰を掛けて
寒さの中、手を振ってくれることに
世界で起きてることと対比して
日本にいることの幸せを噛み締めた。
ランナーは自分の好きでやっていること。
それを寒さの中で
声援を送る人達の心に
感銘と尊敬の念を禁じ得なかった。
レースの夜
お付き合いで
レースとは無関係の宴席に参加したが
立食で1時間の挨拶と
時間を負うごとに増す痛みに耐えながら
「人の一生は重荷を負って遠き道を行くが如し、
急ぐべからず」
家康の言葉を噛み締めながら
「まだまだ修行が足りんばい」
と自らに言い聞かせたのであった。