その小さな秘境の渓谷に到着だ。
車やバイク数台が既に停まっていた。
インターネットメディアの力は凄いな
暖かいので
チェアリングでくつろいでいる人。
東屋の下で
仲間と談笑がてら軽食を取ってる人たち。
それぞれに小ぶりながらも
秘境感漂う渓谷の
秋の終わりを楽しんでいる。
野立ての案内板を見ると
山歩きを楽しめそうなコースもあるようだが
さすがにお昼も回っているので
今回はやめておこう。
つい一月前には
中山道をヒィヒィと歩いていたことが
既に遠い過去の出来事になっている。
テレビに映し出された群衆のいる場所が
あのスタート地点の岐阜駅前と一致せず
非現実感に追い打ちをかけた。
時が過ぎ去ってゆくのは早い。
初めてフルマラソンに挑戦したとき
両足がつり、低体温症の症状があり
体が動かなくなった。
頭の中では
過去の心の傷を振り返り
あの辛さに比べたら
体の痛みなんて、どうってことない。
と思おうとしたが
動かない体は動かない。
しかし、100kmウォークの辛さは
過ぎ去りし今は
もう既に消えようとしている。
やはり体の痛みより
心の痛みなのか
体が悲鳴を上げているときは
精神で持ち堪える。
心が負けそうなときは
何も考えず肉体で限界を目指す。
心と体が限界を迎えたときが
ときが止まるときなのかもしれない。