生まれた街を離れて
既に半世紀近くが流れた。
空き家になった生家が
一年に一度
この地を訪れる
言い訳になっている。
港に活気があった頃は
街も賑わっただろうが
今は人影もない。
小学生の頃、父親に連れられて
暖簾をくぐった
人生で初めての鮨屋だけが
あの頃と今を繋いでいる。
素朴な地物ネタが頑固に並び
江戸前を思わせる干瓢巻に
50年以上この地で
握り一筋でやってきた大将の
プライドを垣間見る。
少し車を走らせ
浜辺を歩いてみた。
南の海らしい
亜熱帯の植栽が続く
記憶の奥に残された
原風景は今も変わらない
過ぎ去った時間だけ
体と心に年輪を刻む
思えば
それなりの長い時間を
歩いてきた
しかし太古より時と共に流れ
歴史の片鱗を見つめてきた
自然界のそれと比べると
人間なんて
たかがちっぽけなものだ。
穏やかな大海を
暖かい陽が照らす
3年前のちょうど今頃
遠く横浜の港で起こったことを
テレビニュースで見たときは
こんな長閑で
都会から離れた田舎まで
やってくるとは思わなかった。
そう呟いた
鮨屋の大将の言葉を思い出した。
世の中を
地球を
コントロールしている
つもりになっていたとしても
結局、コントロールされて
翻弄されているのは人間の方である。
成るように成るか
成らないものは成らないのである。
さて
芋でも食って帰るか。